昨日が【十五夜】中秋の名月でしたが、今日が満月。
お花屋さんの前を通ったので 気分だけ【お月見】味わぉうかとススキとワレモコウ。
おウチからお月様が見えないので お団子用意して【お月見】っていうロマンチックが叶わない。
明日中に やらなくてはいけない事があるのに 夕方くらいから体調がすぐれない。
満月のせい?
こんな時は 寝てしまおうかしら。
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ネーミングのインパクト大賞は いつだって【小林製薬】かと思っていました。
さっきまでは...。
ひと昔前に ヒット商品の座を射止めた〈食べるラー油〉が、なぜだか無性に食べたくなったので買ってきた。
ちゃんと瓶を見てみたら...
【辛そうで辛くない少し辛いラー油】
なんとも長ったらしぃ ネーミング。
【ごはんですよ!】で おなじみ桃屋の商品。
発売開始当初から、この名前だったらしぃです。
気づかなかった。
〈食べるラー油〉としか認識していなかった。
何気なく検索してみて びっくり!
〜とある辞書より〜
食べるラー油の元祖でありそうで元祖でない少し元祖である。
原材料にフライドガーリックとフライドオニオンを使用しており、ザクザクとした食感が美味しそうで美味しくない少し美味しいと評判になっている。
開発経緯
昔そうで昔じゃない少し昔、桃屋の新商品開発室で、1人の社員がラー油の新商品を作りたそうで作りたくない少し作りたい顔をしていた。
そこで上司が「よし、ではお前に新商品の開発を任せそうで任せない少し任せてみよう」と、その社員に開発担当者になることを命じた。開発担当者は、「頑張りそうで頑張らない少し頑張ります」と言って、開発に取りかかった。
それから長そうで長くない少し長い時間が経過した。開発担当者が考えていた「食べるラー油」の原型は完成しそうで完成しない少し完成したが、まだまだ市場に出せる状態ではない。「あと一歩だというのに」開発担当者は辛そうで辛くない少し辛い表情を浮かべた。
まだまだ続きがあります...
もぉ読むのにさえ疲れました...。
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先日、待ち合わせ時間までに ほんのちょっと時間があったので、久しぶりにスタバに行きました。
食べ過ぎ警報がなっていたので、ちょっぴり気を使ってソイラテを注文しました。
コーヒーを大人っぽくブラックで飲むのが まだまだ苦手で、苦みが苦手というよりも刺激が強過ぎて頭が痛くなってしまうのだ。
かといってアメリカンなる薄い感じも好きではない。
若かりし頃、ブラック猛特訓した時期もありましたが、やっぱり苦手の克服には至らず。
完全に飲み干してから気づいてしまった!
ラテの”L”が ニッコリしてる♡
見つけた瞬間 ひとりでニヤッとしていたかもしれない。
ニッコリではなく。
ちょっとした事で心がホッコリほころぶ、人って単純だ。
このサービスは、会社のマニュアルなのか、バリスタの気遣いなのか 気まぐれなのか...
ちっちゃな事かも知れないけれど、なんかいいなぁと思った。
猫舌なので、冬でも結構アイスカフェオレやら、アイスドリンクを頼む。
本当は寒いから 温かいを飲みたいのに。
すぐに飲めないもどかしさで ついついアイスドリンク。
自販機の[あったか〜い]の缶は持つのも ままならない。
スタバでは 〈ぬるめ〉というカスタム注文が出来るのを知ってから、冬には温かい飲み物を注文出来るようになった。
バイトしている訳でも回し者でもないですけれど、スタバって優しい会社なのかもしれない。
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雷ゴロゴロ...空がだいぶ ご立腹のようです。
夜が更けるにつれて 少し落ち着いてきました。
さくらんぼ vs ラ・フランスの 好きな果物抗争の話しを以前書きましたが、もうひとつあった。
お好みの果物、ネクタリン。
水曜日に4つ入を購入。
冷蔵庫には もう居ない。1日1ケのペースで食べ尽くしてしまった。
このコを見ると、遠い夏の想い出が蘇る。
私の通っていた幼稚園のイベントの中に〈お泊まり保育〉みたいなものがあった。
どこだったか覚えていないのですが、お泊まり保育のイベント中、お散歩で鎌倉のお寺に行き おやつとして頂いた果物がネクタリンでした。
ももの友達っぽいけど、甘酸っぱくっておいしい!と思った 初めての味。
初恋の甘酸っぱい想い出ではなく、リアルに甘酸っぱい味覚の想い出。
あれ?!あの時のは プラムだったかな?
すもも も もも も ネクタリン も もものなかま。
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「粋」とは、江戸における美意識。
古き良き江戸時代の言葉や江戸しぐさ。
忘れがちな現代社会で、大事に引き継いでいけると良いです。
さりげなく「粋な計らい」が出来る人って男性でも女性でも素敵だと思う。
ちょっと涼しくなったかと思いきや、またここ最近湿度が高い日が続いております。
先日、アーティストらしい残暑お見舞いのハガキが届いたのでした。
そこには、暑さを吹き飛ばすよぉな涼しげな背景の中に金魚の尾がひらひらと泳いでる美しい絵が描かれていました。
これだけでも、全体の構図に尾だけが入ってるなんてアーティストっぽい!
と思っていたのですが...
1週間も留守番していたポストに、更に2枚 ハガキが届いておりました。
まさかの...三位一体残暑お見舞い!
3枚を合わせると金魚が現れる。
きっと残りの2枚が届くタイミングにも時間差があったのだと思うのですが...
作者の想いとは裏腹に2枚目 3枚目を同時に受け取ってしまう残念っぷり。
「涼」を感じられる優雅に泳ぐ金魚ちゃん。
小出しに3枚送られてくる「粋」な演出がにくい!
暑中お見舞いをハガキで出そうか...考えただけで実行しなかった私ったら。
かたじけない。
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取り敢えず録画しておき興味があったら観る。という番組の中に情熱大陸もランクインしている。
1週間ほど家をあけていたので、休憩時間に観てみました。
菅井円加ちゃんの特集でした。
17歳の時に、若手バレエダンサーの登竜門ともいわれるローザンヌ国際バレエコンクールで優勝したプロのバレエダンサー。
ロシア人のような長い手足は無いけれど、男性ダンサー並のジャンプの高さと繊細な表現力によるパフォーマンスで観客を惹き付ける凄さを、現在所属しているバレエ団のおじさまも、大絶賛していました。
普段の顔は あどけないのにステージで見せるプロの顔はまるで別人。
そんな美しいバレエを観ていたら ちょっと また思い出してしまいました。
巨大木製コースター ホワイトキャニオンやバンデットでおなじみの よみうりランド内に かつて...水中バレエ劇場がありました。
ここの存在を知ったきっかけは、傑作ワイド劇場だったか 土曜ワイド劇場で観た江戸川乱歩シリーズ「緑衣の鬼」にロケ地として出て来たのでした。
近藤玲子水中バレエ団が 巨大水槽の中でパフォーマンスを繰り広げる、夢のようなこの劇場に行ってみたく、高校生だったか専門学校の頃、数人の友人を誘ったのですが何それー?!って笑ってはくれるものの、誰にも賛同されず、見そびれてしまいました。
1人でも行けばよかった。
劇場は1997年に閉鎖され、近藤玲子先生は5年前に お亡くなりになられたそうです。
もう観る事が出来ないのです。
お水を使ったショーといえば シルク・ドゥ・ソレイユの「O」。
こちらも、10年ちょっと前にラスベガスに1度だけ行った際にやっていたのですが、同時にやっていた「ミスティア」というショーの方が安かったのと宿泊しているホテルでやっていた為 見逃しました。
「ミスティア」も十分 楽しかったです。
それ以外に日本公演で観た シルク・ドゥ・ソレイユは、アレグリア と クーザ だったかな?!
何を観ても美しくて楽しい素晴らしい集団。
初めて見るまで、なぜかロシアの集団だと思っていました。
本当は カナダが本拠地。
「O」は今でも まだ開催されていてますが、人気がありすぎて予約が取れないとか取れないとか。
水を使う装置が設置できないので残念ながら日本公演できないらしいのです。
頑張って働いて ラスベガスに行くしかない。
いつか観に行きたい。「O」
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先日の祖父母の墓前での お話。
私と姉は鎌倉で産まれ、3歳くらいに引越し藤沢で育った。
産まれた産婦人科で 母ユウコが先生に言われたそうだ。
旧姓と同じ苗字の ある男爵さまがいて、その写真が院長先生のお宅に飾られており、その方にどことなく似ていると...。だから ご先祖様なのではないか?と。
母自身はそんな話しは聞いた事もなく、その時も写真を実際に見た訳では無かったそうだ。
なぜ、その写真が先生の家にあるのかというと、ご先祖様が男爵さまに仕えていたそうで、大事に受け継がれてきたとの事。
そんな遠い昔のエピソードはとっくに忘れていたユウコが、最近 ある病院の待合室にいた際、先程まで遠くにいた見知らぬマダムが気づいたら隣に座っており突然話しかけられたそうだ。
「時が時なら、お姫様だった方ですよね?」と。
なんのこっちゃ?!と思い「なんですか?」と聞き返すと「私、そういうものが見えますの。」と意味深な捨て台詞を残したまま、スピリチュアルマダムは診察室にお呼ばれしてしまい、それ以上話しを聞く事は出来なかったそうだ。
そこで、前述の遠い昔のエピソードを思い出し、点と点が線になった!
こりゃ大変。本当にご先祖様は男爵さまだったんじゃないかしら?!というユウコの妄想が暴走し始めたというお話。
念の為に言いますが、ユウコは見た感じ品があるわけでもお金持ち風味なわけでも何でもない。
普通のおばちゃんというか お婆ちゃん。孫いますし。
その子孫である私もそんな家柄という恩恵を受けた記憶もない、ごく普通の家庭でした。
そんな話しを聞いたら今迄たいして気にした事もなかった自分のルーツが気になってきた。
得意のネットで少し調べてみました。
確かに同じ苗字の男爵さまで、鎌倉でお亡くなりになられた方がいました。
院長先生のおウチに大切にされている写真は恐らくその方で間違いないでしょう。
時代的に言うと、その男爵さまの息子が母ユウコの祖父にあたるのでは。
しかしユウコったら祖父の名前は分からないときたもんだ。
事実が不明なので敢えて苗字は伏せておきます。
役所に行って調べるしかないのかしら...。
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